「速水堅曹研究会」は、日本の製糸業に多大な功績を残した旧前橋藩士・速水堅曹のすべてを調査研究しています。

お墓とモニュメントのご案内

場所

日蓮宗 村雲山 瑞法光寺内
〒302-0026 茨城県取手市稲1497
TEL: 0297-47-0025   FAX: 0297-73-5821

瑞法光寺について

開山 村雲瑞龍寺十世 瑞法光院宮日栄尼
開創年 明治18年(1885)
縁起 明治18年(1885)に京都の 門跡尼寺・村雲瑞龍寺十世瑞法光院日栄尼の発願によって、東京都中央区日本橋小伝馬町に開山創建された。門跡伝来による天拝子育鬼子母神を安置したことから「村雲鬼子母神堂」と称した。
大正12年(1923)の関東大震災で焼失。昭和4年(1929)に本堂、庫裡が再建され、昭和17年(1942)に「村雲瑞龍教会」と改称した。
昭和27年(1952)には開山尼公の院号をもって、寺号を現在の「瑞法光寺」と称するようになった。昭和62年(1987)に山門を閉鎖し、取手市に移転、本堂を移築する。平成元年(1989)に落慶報告大法要が営まれ、現在に至る。

アクセス

鉄道利用の場合 JR常磐線「取手駅」バス便あり 車で8分
つくばエクスプレス線「守谷駅」 車で15分
自動車利用の場合 常磐自動車道「谷和原インター」降りて20分

速水堅曹のお墓について

速水堅曹の墓
速水堅曹の墓

明治13年(1880)6月に亡くなった堅曹の母・松は「嘗テ當人存生中撰定セシ」(『速水家累代之歴史』より)青山墓地の墓におさめられた。それ以来速水家の嗣子はこの墓をまもってきた。
一方、分家した堅曹の次男・速水卓爾の家は長女のスミが家督を継いだ。スミは僧侶(日朝)となり東京・日本橋小伝馬町の瑞法光寺の住持となった。
平成17年(2005)6月、速水益男氏(堅曹の直系の孫)が家族とともに取手市の瑞法光寺を訪れた。堅曹の次男の子孫が護っている瑞法光寺に改葬して、後をお願いしたい、という話であった。
益男氏長男の孝悦氏は瑞法光寺境内の墓地に墓を建立した。翌18年(2006)9月9日に開眼法要と納骨をおこなったが、青山霊園の墓から移されたのは、堅曹と妻・幸の骨壷だけであった。墓を建立している間に、孝悦氏の親族から青山霊園の墓を継いでもいいという人があらわれたということである。
現在、速水本家の墓はそのまま青山霊園にあり、堅曹夫婦だけが改葬されて瑞法光寺の墓におさめられている。

モニュメントについて

速水堅曹翁を偲ぶモニュメント
速水堅曹翁を偲ぶモニュメント

かつて速水益男氏(堅曹の直系の孫)から、川越で没した速水家先祖の墓は、昭和19年頃に道路拡張のため既に無くなったと聞いていた。
ところが、小林春樹と速水美智子の探索により、平成19年(2007)5月29日に埼玉県川越市の妙善寺で発見された。速水堅曹の曾祖父母「三輪政吉夫婦」、祖父母「速水戍信夫婦」、父「速水政信」の3基の墓である。〔写真1〕大きな台座の上に3基の墓石を配した形のもので、その台座には堅曹が各先祖に対して詠んだ和歌が石板に彫られてはめ込まれていた。墓は明治時代に堅曹が建立したものと推察される。
益男氏らと相談の結果、川越の墓は解体をして堅曹夫婦の墓のある瑞法光寺に
新たにモニュメントとして建立することとなった。
平成19年(2007)10月26日に閉眼供養をして解体をした。
平成20年(2008)1月中旬に工事は終了。モニュメントの3基の石柱は川越で発見さ れた3つの墓の竿石と、堅曹の歌碑をはめ込んだものである。側面には、墓石に刻まれていた没年を彫り込んだ。手前には群馬県世界遺産推進室長・松浦利隆氏による、堅曹の足跡を記した「誌」を黒御影石に刻字して据え付けた。モニュメントの設計・施工は(株)石梅による。
平成20年(2008)1月17日、堅曹没後95年の命日に親戚と関係者が集まり、「速水堅曹翁を偲ぶモニュメント」の完成披露の会をおこなった。〔写真2〕

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